学生スケーターのメモ

大学生からフィギュアスケートを始めた僕の雑多ブログ。初心者から中級車向けの練習方法やフィギュアスケートへの思いを語っています。

【雑談】エンターテイメント性の高いプログラム作り

 

最近、目覚ましの音が聞こえなくなってきたカジタです。もしかしたら、目覚ましの音ってモスキート音で、加齢によって聞こえなくなってるのでは?と疑ってみたりしています。

 

さて。

 

今回は、僕の考える「エンターテイメント性の高いプログラム作り」についての話です。これはいつも以上に僕の自己満の記事になっていますので、「それでも見てやるか」という方のみ閲覧してください。

 

 

 

エンターテイメントとは

 

閲覧を続けて頂きありがとうございます。

まず、「そもそもエンターテイメントってなんだ」という話をしたいと思います。

 

エンターテイメントをWikipediaで調べてみても「人々を楽しませる娯楽」としか出てこなかったので、本当に僕の独断と偏見で定義をつけると、エンターテイメントとは「共通言語で会話をして、2歩先の理想を見せること」だと思います。(エンターテイメントには色んな種類があるので、これはあくまでも僕の届けたいエンターテイメントのタイプでの話をしています。)

 

共通言語

 

そもそも、どのエンターテイメントにおいても、演者と観客の間には、共通言語(そのコミュニティで共有されている常識)が必要だと思います。それは、日本人がアメリカンジョークをすんなりと受けいられないように、ある程度の予備知識がないと、そのエンターテイメントの凄さを理解するのに時間がかかるからです。

 

これをフィギュアスケートについて考えるみると、何も知らない人はスケーティングの美しさに感動できず、ある程度フィギュアスケートをみたことある人が「この人はエッジが深くて素敵!」と感動するようになります。これは、この動きを氷上でするのは難しいという共通の認識があってこそ生まれる感動であり、この感動こそがエンターテイメントの存在意義だと思います。

 

2歩先の理想

 

これはエンターテイメントの種類によって大きく変わりますが、多くの人に刺さるエンターテイメントは2歩先の理想を映し出していると思います。例えば、恋愛系の少女漫画では、うちの学校にはいないけど、県内のどこかの学校にはいるかもしれない完璧イケメン教師が登場して、君の名は。では無理とは分かっているけど、誰かと入れ替わりたいという理想を映し出しています。

 

ここで大事なことは、2歩先という距離感で、これが10歩先だと一部の人にしか刺さらないものになります。具体的に話すと、女子高生が「校則を破りたい」「先生という身近な大人」「恋愛に興味が湧いてきた」という要素をもっているので、イケメン教師に恋をする漫画が流行り、現代人が「スマホですぐに繋がれる」「自分ではない誰かになってみたい」「RADWIMPSの世界観最高」という要素を持っているので、君の名は。がヒットしたのかなと思います。簡単に言うと、どんなに高度な技術があっても受け取り側にニーズが無ければエンターテイメントとして成立しないということです。

(パリコレとかの芸術性の高すぎる衣装を一般人が理解できない感じだと思います。)

 

エンターテイメント性の高いプログラム作り

 

ちょっと話が脱線しましたが、プログラム作りにおいてのエンターテイメントを考えてみます。

 

まず、プログラムにおいての共通言語は特徴的な動きで生みだせるのかなと思います。ネイサン・チェン選手がネメシスの冒頭でしゃがみこむ振りや、「雨に歌えば」での傘のパントマイムなど、「あぁ、あのシーンね!」「待ってました!」となることで、プログラムに盛り上がるポイントを作れます。

 

僕の場合、プログラムで使用する曲の原作の動きを取り入れたり(マイケルジャクソンメドレーの際に実際の振り付けをオマージュする)、そもそもファンがついているプログラム曲を使用するようにしています。

 

共通言語を考える時に大事なことは、どういう人に演技を見てもらう見てもらうかを考えることで、学生スケーターの場合だと、学生スケーター、家族、スケート観戦が好きな人などが考えられます。そこから「この振り付けなら多くの人が既に知っているかな」ということを考えていきます。

 

次に二歩先の理想についてですが、学生スケーター(三級以下)が見せられる理想には限界があります。そこで、得意な動きを盛り込み、背伸びはしないことが大切だと思います。

 

よく選手のマネをして難しいステップにしたり、もう少し上手くなったら出来るレベルの技をプログラムに入れたりしますが、そうするとプログラムのエンターテインメント性が落ちてしまうと思います。

 

二歩先の理想を見せることがエンターテインメントの定義であり、出来ない姿を見せることは「やっぱり上手くはいかないんだ」という現実を見せることになります。そうなるよりは、自分の得意な動きを使って”出来てる感”を全面に出した方が良いと思います。自分より級の低い学生スケーターにとって、それは十分に二歩先の理想となるからです。

 

(また、二歩先ということなので、あまりに古いネタを取り入れたとしても、それはあまりウケないと思います。)

 

 

 

・・・

すごい煩雑な記事になってしまいましたが、エンターテインメント性の高いプログラム を作りたいのであれば、観客の知っている振りを導入し(共通言語をプログラムに取り入れ)、自分の得意な振りを全面に使う(現実でなく二歩先の理想像を見せる)と良いのかなと思いました。

 

それでは、また明日。

(明日からインターンシップがあるので、また更新が途絶えます。。。)